日本脳炎の予防接種で・・・

写真は本日のマチコです。
食べあげたお菓子の袋を念の為本当に無くなったのか確認しています。笑
つまり元気です。
その事を踏まえて読み進めていただきたいと思います。
実はですね、僕、とんでもないミスを犯してしまいました。
難治性てんかん児の親として、下手したら取り返しのつかない事態になった可能性もあるほど
あるまじき失態です。
そしてこのブログで少し嘘をついてしまった事をお詫びしなければなりません。
マチコが手術して1年、「発作もなく」と書きましたが
あれはちょっと言い過ぎてるんです。
遡ること2週間前、3月1日に「とあるウエスト症候群患者の治療記録」を書き始めた日でした。
あの日、実は我が家はとんでもない事になってまして
でも「治療記録」はずっと前から3月1日から10日かけて書こうと決めていたし
妻の過去のメモや記憶を紙に書き起こして3回分くらいの構成はすで固めていたので
あの日我が家で起きた事には触れず、そのまま「治療記録」シリーズをスタートさせたんですが
その日はマチコの日本脳炎の予防接種の日だったんですよ。
マチコは主に入院やACTHを理由に(ACTHを打つと半年は予防接種を打てないので)
通常のタイミングでの予防接種を受けてこれなかったので
この1年で取り返すように予防接種を打っています。
もちろんミチコも通常のタイミングで予防接種を打つので
悪い意味で慣れてきちゃってたんですよね、予防接種に。
僕たちが小さい時は「注射打った日はお風呂はダメ」だったと思うんですが
今は「注射跡をゴシゴシしなければ別にOK」って言われます。
でも最初の頃は一応お風呂には入るけど
「今日は予防接種を打ったから」と、かなり慎重にやってたんですが
回数を重ね、別に問題も起きず
しかもあの日は、前日にマチコが早い時間に寝てしまい
お風呂に入れてなかったというのもあって完全に「今日は予防接種を打った」が
頭から消えてしまっていました。
そこがもう緩みきってますよね。。。本当に反省しています。
しかも、よりによって日本脳炎・・・
日本『 脳 』炎の予防接種だったというのに・・・。
前日お風呂に入ってないっていう事しか頭に無く
いつもより丁寧に体を洗ったりしてたので
必然と入浴時間が長くなってしまったんですよね。
で、いつもは最後に湯船に肩まで浸かって「10」数えて出るところを
「20」数えたりして・・・
そしたら、さっきまではしゃいでいたマチコが急に大人しくなって
あれ?と思って様子を見たら、右手が大きく震えてるんですよ。
「痙攣発作」です。
慌ててお風呂から出して体を拭いてると、首から下は真っ赤なのに
どんどん顔が青ざめていって、脱衣所で3回嘔吐。
これはヤバイと思って早く服を着させようとすると
本来、麻痺があって常に力が入ってる状態のマチコの右腕がぶらんぶらんで
左に脳梗塞があるマチコが右に力が入ってないという事に物凄く焦ってたら
徐々にマチコの意識もしっかりしてきて
「げっげ出た」「ママと寝る」と言うので水を飲ませて
そのまま布団の上で横にすると、疲れたのかすぐ寝入ってしまいました。
だから、「発作が無い」は言い過ぎていて
「てんかん発作」では無いかもしれないけど、絶対違うとも断定出来ず。
お風呂の時間が長すぎ、熱がこもったせいで「熱性けいれん」ってやつだったのかもしれないし
お風呂とは関係無く、単に日本脳炎の予防接種の「副反応」だったのかもしれない。
何せ左脳に脳梗塞のある難治性てんかん児なので、普通の子では起きない事も
何が原因で起こったとしてもおかしくありません。
何にしろ、確実にマチコにダメージを与えてしまった事だけは事実なのです。
あの日の夜は夫婦揃ってなかなか寝れなくて
「やってしまった」ってずっと悔やんで
あれがきっかけで、てんかん発作が再発したらどうしようって不安でした。
結果的に、次の日にはすっかり元気で、あれ以来一度も痙攣発作は無いけど
本当に取り返しのつかない事になった可能性もある
本当に本当にとんでもないミスだったので
もう二度とあんな事のないようにとの戒めの為にこうやってブログに記している次第です。
本当に反省しています。
なのでもう我が家はマチコもミチコも今後一切
「予防接種の日はお風呂入らない」
事にしました。
わざわざリスク負う必要もないので。
あーほんとやってしまったなー・・・
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あみちゃんママありがとうございました

手術から1年

1年後のブログの写真は絶対こうしてやろうと決めてたんだー。
今日マチコは生まれて初めて美容室で髪を切りました。
1年前手術の時に坊主にして以来の散髪です。
あの日、とても沢山の方に手術成功を祈っていただき
そのパワーに包まれながらマチコは今日まで元気に過ごしてきた
本当にそう思っています。
今日もマチコと一緒に夜ご飯を食べる事が出来ました。
今日もマチコと一緒にお風呂に入る事が出来ました。
今日もマチコは「ママがいい」と言って妻と一緒に寝ました。笑
あの日、一緒に祈ってくださった皆さんをはじめ
今日までの1年間、我が家に携わってくださった全ての方に
心からお礼を言わせてください。
皆さん、本当にありがとうございました!!!!!!
手術をして発作の「焦点」こそ取り除きましたが
ウエスト発症の根源である「脳梗塞」部分はそのまま残っていますし
脳萎縮もそのままです。
なので右半身の麻痺は消えてませんし、脳の左後頭葉を切除した為
マチコは両目の右側が全く見えなくなってしまいました。
発作がなくなり、どんどん新しい事を覚え、成長していくマチコを見てると
せめて麻痺や半盲など身体的ハンデさえ無ければ
もっとお友達といっぱい遊ばせてあげられるのに、と思うこともあります。
でも昨日までのブログでマチコの発症当時を振り返り
「今日は発作が無かった」
ずっと目指してきたこの状態に勝るものなんてやっぱり無いなと
麻痺が何だと、半分見えてないのがどうしたと
改めて思いました。
今後また再発するかもという不安は常にあるわけですが
そこは我が家らしくあまり色々考え込まずに
発作もなくお調子者ぶりに拍車がかかるマチコに負けないよう
前向きに、元気に、楽しく暮らしていきたいと
手術から1年経った今日、強く思いました。
今日も家族揃って美味しいご飯が食べれた!それが1番!!
なんか最近こればっか言ってる気がするな・・・笑
では
今後もぼちぼち更新していきますので、引き続きお付き合いよろしくお願いします。
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本当にありがとうございました

とあるウエスト症候群患者の治療記録 その10

2013年3月、手術の為入院。
前日に生まれて初めて髪を切った。しかも坊主。
束ねた髪は我が家で今もそのまま保管している。
もちろん自分の身に何が起こるかなんて分かるはずもないので
いつも通りのお調子者なマチコの姿に胸が締め付けられた。
翌日、2013年3月11日午前9時、手術室へ向かう。
病棟出入り口のナースステーションで看護師さん達に「ばいばーい」と元気に手を振るも
いざ手術室の前になると様子が一変。
「イヤー!イヤー!ママー!だっこー!!」とまるで今生の別れのように泣き叫ぶマチコを
看護師さん達が何人かがかりで手術室の中へ連れて行く。
予定では17時~18時には終わるとの事だったので
それまでは外科病棟や宿泊棟をウロウロしたり、2人でオセロしたり
小児病棟に入院中だったお友達と話すなどして時間を潰した。
16時頃に「順調だが終わる時間は未定」との連絡を受ける。
「未定」という事は「予定」通りでは無いという意味だと思った。
それから5時間半ほど経過した21時半頃
「あと2時間ほどで終わる」と電話がかかり、ようやく胸を撫で下ろす。
結局、マチコと面会できたのは24時20分。
手術室の前で見送って15時間も経っていた。
外科での主治医兼執刀医の先生から説明を受ける。
それもつい先ほどまで脳の手術をしていたとは思えないほど
優しい口調で丁寧に分かりやすく。
当初の予定は発作の焦点である左後頭葉の「離断」手術。
要は焦点そのままは残すので焦点自体はずっと活動し続けるが
「離断」つまり脳全体からその焦点だけを切り離す事で
脳の他の箇所に影響を与えず、発作が起きないようになる。
という手術だったが
出血が多かった為、焦点そのものを取り除く「切除」手術に切り替えたので
時間がかかってしまったとの事だった。
一通りの説明を聞き終わり、病院もののテレビドラマの衣装のような格好で眠るマチコを残し
2人で宿泊棟へ向かった。
ナースステーションの横を通り過ぎようとすると、そこで執刀医の先生が
黙々とパソコンに向かって仕事をしていた。
その時すでに25時を回っていた。
本当にこの先生に担当してもらって良かったと思った。
翌朝、2人で外科病棟へ「最初にどっちを呼ぶかな?そもそも覚えているかな?」
なんて話をしながら向かった。
病棟に着くとマチコの泣き声が聞こえた。
手術直後は熱も出るらしく機嫌が悪い上に、必要な管を抜いたりしないように
ベッドに手を固定されて身動きが取れないようにされていたからだと思う。
部屋に入る。
マチコの第一声は
「ママ、ぴーさん(が居るよ)」だった。
僕はその日までしか休暇を取っていなかったので午後には新幹線で帰宅。
術後懸念されていた水頭症等の合併症の問題も出ず
「発作無し、脳波も良い」という最高の結果で手術から1ヵ月後の
2013年4月9日に、マチコと妻が退院した。
ちなみに、この時から今までずっと内服は「テグレトール」のみ。
そして明日で手術から1年。
それまで6月、12月の検査入院でも発作無し、脳波も良いという結果だった。
この1年のマチコの成長は本当に本当に物凄かった。
最近のマチコは嘘もつけるようになった。わざと間違う事も出来るようになった。
もうこんなの普通の3歳児やろと思うくらい。
(実際の健常な3歳児は段違いの発達度合いだけど)
裏を返せば、いかに発作が発達に悪影響を及ぼしているのかも憎いほど分かった。
けど、やっぱり我が家としてはマチコの治療・発達に関わってくれた全ての方に
ただただ「感謝」それしかない。
皆さん、本当にありがとうございます。
具体的に書いていきたいくらいですが、書き漏らしてしまいそうなくらい
物凄く大勢の方々に支えられこれまで治療を頑張ってこれたんだなという事を
この「治療記録」を書きながら改めて思い返す事ができました。
「初心忘るべからず」
言うのは簡単ですが、実際発作も無く元気なマチコが当たり前のようになってきて
我が家としても緩んでしまっていた部分もあったと反省する良いキッカケにもなりました。
こうやって偉そうに「病気ブログ」と謳ってはいますが
もともとの思慮の浅い性格や、読んでくれる人がクスっとしてくれたら良いなという考えもあって
今までなるべくネガティブな事は書かないようにしてきました。
そうなると自然と「発作」や「治療」という言葉とは縁遠くなって
そういう情報を知りたくて訪れてくれた方には
あまり役に立たない事もあったんじゃないかなーと思い
「とあるウエスト症候群患者の治療記録」として
ごくごく簡単ではありますが、これまでの治療の経緯をまとめてみました。
我が家としてもあくまで「今は発作は無い」「今日は発作は無かった」だと思ってるので
別に「治った」記録でもなんでもないのですが
これが同じ病気のお子さんをお持ちのどなたかの頭の片隅にでも残って
「ああ、そういえばあんな事書いてたな」と
決断・実行の参考程度にでもしていただけたら、もう本望です。
あーーーーーやりきったーーーーー!!!!!
やっぱやめときゃよかったって何回か本当に思ったーーーー!!
こんなマジメな記事向いてないわーーーー!!笑
ほんと今はウエスト症候群の事ちゃんと記録してくれてるブログいっぱいあるので
そういうの知りたい方は下のバナーからブログ村てんかんカテゴリーへGO!!!
今は先日東京で行われた「ウエスト症候群セミナー」の潜入レポートが激アツです。
そういうわけで、居るかどうかわかりませんが
10回も、しかも長文、全てお付き合いしていただいた方、本当にご苦労様でした!
さぞ苦痛だったでしょう。
でも安心してください。もうこんな事はしません。笑
そしてたまたまこの記事を読んでくれたという方も本当にありがとうございます。
このブログ、いつもはこんな感じじゃないんで、また遊びにきてください。
よっしゃー、ほろよい(白いサワー)飲んで寝よー
(お酒飲めないけど、最近コレだけ飲めるようになってハマってるのです)
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皆さんあっての今

とあるウエスト症候群患者の治療記録 その9

写真はどうしても使いたかったので、ちょっと逆行しますが
2回目のACTHの時のマチコ。
早く食べさせろって怒りながら食べてます。笑
そして全部食べ終わったら「もっと食べさせろ」の大泣きのパターン。。。
副作用って怖いですね。
「治療記録」の方は、実は10回、10日でまとめて
3月11日の手術後1年を迎えようと思っていたんですが、これで9回目・・・。
ペース配分を間違えてしまったので、今回とラストの2回で手術までの残りの記録を
更にサクサクまとめたいと思います。笑
でも実際、2012年3月にラミクタールを追加して退院してから手術まではずっと
「発作もある、脳波も悪い」という状態のまま地元で過ごし
薬の調整をしに2~3ヶ月に1回、静岡に検査入院しに行くっていうパターンだったので
特段大きな変化は無かったんだけどね。
手術までの1年間を簡単にまとめてみたいと思います。
2012年5月、手術適応かどうかを調べる必須検査「MEG」を受けるために2週間の検査入院。
この時から担当の主治医が2人目の先生に代わる。
MEGの他にもMRI、PET、SPECTの検査も受ける。
7月に「夫婦揃って」検査結果と手術の説明を受けることになり
この時の入院でラミクタールを徐々に減量していき
なまじ薬を増やすより、「見守れる程度の発作」止まりなら
手術まではデパケン単剤で臨むことになった。
この時の状態はスパズム(点頭発作)と部分発作ともにあったので
単剤であと半年過ごさなきゃいけないというのは少し怖かった。
2012年7月、家族3人揃って2泊3日の検査入院。
そこで前回の検査結果の報告を受け、正式に「オペ待ち患者」になる。
年内と言われていた手術日が延期になったので、デパケンに加え新しい薬「テグレトール」を試す事に。
この時の検査入院がたった2泊3日とはいえ
僕にとっては初めてのお盆やお正月じゃない「普通の日」の病院体験だった。
これは本当に他のパパにもおすすめ。分かるから、いろいろと。
2012年10月、1週間の検査入院。
「ACTH以前に戻ってしまった」3月時や5月時より更に脳波は悪化していた。
カンファレンスで「この脳波で発作じゃないの!?」と他の先生が聞くくらい
ぐちゃぐちゃな脳波がマチコの通常時の脳波だった。
デパケンが効いてなさそうなので減量し、手術まではテグレトール単剤で行くことになった。
そしてこの時の入院でいよいよ手術が「2013年3月11日」に決まる。
その手術決定で本当に感謝しなければいけないのが、この時のマチコの主治医の先生。
その2人目の先生ももう静岡を離れ地元に帰られてしまったので
この話は小児科では3人目になる今の主治医の先生が教えてくれたことだけど
『マチコの検査結果を受け、手術適応か否かを話し合う小児科のカンファレンスで
他の先生達は「無理でしょう」と言われるなか
その主治医の先生ただ一人だけ「絶対ココが焦点なので、外科にもっていけます」と意見を通してくれて
外科のカンファレンスを無事受けられる事になり
そこでもマチコの検査のデータを自ら説明してくれ、ようやく手術可能のGOサインが出た』
らしいです。
本当に物凄く熱心で優しい先生でした。本当に本当に感謝してもしきれません。
そして手術を見越し、「1番外科までもっていってる先生だから適任だと思う」と
その先生に引き継いでくれた1人目の主治医の先生にも本当に感謝しなきゃいけません。
あ、あと恩人と言えば、マチコ2012年だけで4回入院してるんですけどね
我が家にとって静岡へ行くという事のハードルを本当に下げてくれている存在が
2回目のACTHで同部屋だったお友達の「あやなぎさん」。
静岡在住の方なので、その度に会いに来てくれたり、買出しまでしてくれたり
実はもうすぐマチコの術後1年の検査で静岡へ行くんですが
その時もあやなぎさん家に前泊して、てんかんセンターまで送ってもらう予定。。。
あ、あつかまし過ぎる・・・。
書いてて恥ずかしくなるくらいあつかまし過ぎる・・・。
あと、あやなぎさんとこも姉妹なのでお下がりの服や絵本もいっぱいいただいたり・・・
・・・
あ、もう書くのやめとこ・・・世話になり過ぎてて申し訳なさ過ぎる。
でも本当に静岡の大恩人「あやなぎさん」のおかげで九州在住の我が家にとって
静岡が物凄く近く感じられています。本当にいつもありがとうございます。
そんないろんな人に支えられ助けられ救われながら、これまで治療を頑張ってこれました。
皆さん本当にありがとうございます。
明後日で手術して1年になります。
その前に明日手術の事、その後の事を振りかえってこの「治療記録」を締めたいと思います。
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長文は不向きな僕・・・

とあるウエスト症候群患者の治療記録 その8

今日はマチコのリハビリ・療育について。
てんかんセンターでは検査入院にしろ、長期入院にしろOT・PTが週2・3回ずつ。
大体こんな感じです。
マチコにとって初めてのリハビリは1回目のACTH中。
第1回目のメニューは「おすわり」の訓練でした。
その時マチコ1歳。
その後、入退院を繰り返す度に
「四つんばい」「ハイハイ」「つかまり立ち」「つたい歩き」
「手づかみ食べ」「スプーン食べ」
など本当にゆっくりと出来る事が増えていきました。
ハイハイは1歳4ヶ月で、つかまり立ちから歩けるようになったのは2歳3ヶ月でした。
麻痺があるので、どっちも下手くそだったけどね。
でも超嬉しかったな~。
手押し車で院内をずっとグルグル練習してまわったり
てんかんセンターのリハビリの先生には本当にみっちりやってもらって感謝しています。
あと、てんかんセンターといえば何と言っても療育。
療育は5ヶ月の長期入院の時に本格的にスタート。
最初は何やってもピンとこない感じで反応の薄かったマチコ。
その時に担当の先生に
「まっちゃんが大きな声で笑えるような事を何か一つでも見つけたい」
って言われました。
先生、おかげでマチコ、大きな声で笑える事いっぱいできましたよ。
その療育の先生のすすめもあって地元でも療育機関に通うようになりました。
最初は地元の自治体様がやっておられるデイサービスに何回か行ったんだけど
そこが・・まあ・・もう・・
あ、これ以上はただの悪口になってしまうのでやめときますが
結論は「このxxxxが!!!!!!!!!」
だったので
マチコの現在のリハビリ・療育は
隣の市のデイサービスに週5日(内3日は母子分離なので送迎)
片道車で40分の訓練施設でのリハビリを週1回
そして歩いて10分の近所のリトミック教室に週1回
のメニューで落ち着いてます。
入院時期以外は約2年間こんな感じです。
僕の地元とはいえ、僕の親戚に特にあてに出来る人もいないので、誰の助けを借りるでもなく
2年間、もちろんミチコが産まれてからは、ミチコも一緒に連れて行って
変わらずそのメニューをこなしてます。
妻も大変でしょうけどね、でも発症当初の「後悔しないように」という思いで
子供2人を連れながら頑張ってくれています。
でもデイサービスも訓練施設もリトミックも快くミチコを受け入れてくれるので
生後3ヶ月の時からマチコの訓練や母子通園につき合ってるおかげで
ミチコの英才教育にもなってる一面もあるんだけどね。笑
本当にけっこう密な日程なので、特に訓練施設に行く曜日なんかは
帰りも遅くて夜ご飯は「ほか弁」なんて事しょっちゅうだけど
今のマチコの運動面・精神面の発達を見たら
例え地元に良い施設が無くても、諦めず足をのばして通い続けて良かったなと思います。
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皆さんのおかげです。本当に。

とあるウエスト症候群患者の治療記録 その7

2011年9月に2回目のACTHを終え5ヶ月ぶりに退院して
すぐに9月末に1週間の検査入院。
11月に1週間の検査入院。
年が明けて1月、マチコの2歳の誕生日を祝ったところでまた静岡へ。
この頃は今振り返ってもなかなかハードなスケジュールです。
しかし、意気込みとは裏腹に検査入院する度に悪くなっていくマチコの脳波。
1月の入院では完全にACTH前の脳波に戻ってしまい、発作も出てくるようになりました。
また振り出しです。
今後の方針についての話し合いで、ケトン食や3回目ACTHなんかの話も出る中で
初めて「外科手術」というワードが出たのもこの時。
結局この時は、外科手術適応かどうかを判定するMEGという検査を夏に予約して終わり。
内服はそれまで服用していたデパケン+トピナに
「ラミクタール」を追加して初の3剤で調整する事に。
あとは薬の増減だけという事もあり1月~3月の2ヶ月間の入院は
発作も有る、脳波も悪いという状況で退院しました。
次回は「治療記録」とは少し違いますが
マチコの「療育」「リハビリ」について少し書きたいと思います。
あと、この「治療記録」で少しでも誰かの参考になればと
僕個人の「ああしとけば良かった」「これして良かった」をなるべく書こうと思っています。
なので、我が家も同じ闘病中の身なのであまり説得力もないかもしれませんが
もしこのブログを読んでくださってる方の中で
最近お子さんがウエスト発症してしまった方や治療が始まったばかりの方がいらっしゃれば
何か知りたい事、聞きたい事などあればどんな事でも構いませんので
コメントなりメールなりしていただければ
3年3ヶ月のウエスト症候群との付き合いで得た経験をもって
全力でお答えしたいと思っています。
僕なんかで良ければ存分に利用して踏み台にして
お子さんの今後に1ミリくらい活かしていただけると幸いです。
超低い踏み台で申し訳ないですけど。笑
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療育・リハビリは書きたいことあり過ぎ

とあるウエスト症候群患者の治療記録 その6

写真は2011年7月
友人の結婚式の為、外泊で1週間帰宅してた時のマチコ。
ちょうどこの頃「トピナ」を服用中で
トピナの副作用でまったく食欲がなく痩せてた事もあって
僕たち夫婦が認定する、マチコの1番の美少女期。笑
治療の方はというと、この後すぐに2回目のACTHがスタート。
最初の1本目から前回時のMAX量を注射。
今回はスパズム(点頭発作)は再発してしまっていたけど
シリーズにまで至ってなかったおかげか、前回より早く効き目が現れる。
もちろん前回同様、「不機嫌」「ムーンフェイス」「異常な食欲」の副作用もありながらも
7月22日~8月28日、合計24本のACTHが終わる頃には
再び脳波も良好、発作も無しという結果を得ることができた。
ここで当時のブログには書かなかった裏話として
実は前回のACTHで「脳萎縮」のあったマチコは
院内のカンファレンスで「2回目は行うべきではない」という意見もあったらしく
でも結果的に主治医の先生に僕たち親の意向を通していただく形となり
2回目ACTHが行われたという経緯でした。
僕が静岡てんかんセンターに転院して本当に良かったなーと思うのは
最初の主治医がその先生だったことです。
これは静岡での歴代の主治医の先生全員に言えることですが
本当に僕たちの意見を尊重した上で専門的な意見を出してくれるし
静岡でとことん治療してやろうと意気込む僕たちを
「家族は一緒に暮らすべき」と諭し、退院までもっていってくれ
何よりも感謝してるのは、このACTHの約半年後
その最初の主治医の先生が静岡を離れ、地元に帰られる際の後任に
「小児の患者を1番外科までもっていってる先生なので適任だと思う」
と引継ぎしてくれた先生に、本当に外科手術決定まで導いてもらう事になり
結果的に、マチコのオペまでの流れはこの最初の主治医の先生が作ってくれたという事です。
実は手術決定の際にも、その引き継いでくれた2人目の主治医の先生に
物凄く大きな恩があるんですが、それはまたその時に。。。
マチコを診てくれた小児科の2人の先生、外科の先生、本当に最高の流れでした。
信頼できる主治医に恵まれたというだけで
本当に本当に本当に本当に静岡へ行って良かったと、心の底から思っています。
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先生お元気ですか

とあるウエスト症候群患者の治療記録 その5

ACTHが終わり退院してきたマチコ。
この辺からもうこのブログが始まってて重複するので
サクっとすすめていきますが
退院1ヶ月後に経過を見てもらいに再び静岡てんかんセンターへ。
一応、1週間の検査入院という予定だったけど
ボーっとしたりと怪しい点がいくつかあったので覚悟はしていましたが
やはり部分発作が再発し、脳波も悪くなっていた為、そのまま長期入院する事になりました。
これがマチコ史上最長となる5ヶ月間の長期入院の始まりでした。
入院後はデパケン単剤から
デパケン+「エクセグラン」を3週間試し効果が無かった為エクセグランを減量。
その後、デパケン+「トピナ」を3週間試した辺りで
スパズム(点頭発作)が再発した為
デパケン+トピナは服用したまま2回目のACTH療法をスタートする事になりました。
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内服で抑制って都市伝説やろ・・・

とあるウエスト症候群患者の治療記録 その4

写真は2011年のお正月の記念写真。
マチコにとって初めてのクリスマスも年越しもお正月も誕生日も病院で迎える事に。
思えば1月にマチコの誕生からスタートした2010年は本当に激動の1年だった。
そして2010年12月24日、いよいよACTH療法がスタート。
1本目のACTHで発作が止まり、それ以降発作ゼロという例もあるらしく
我が家も希望を持って望んだACTHだったけど
発作が止まるどころか、むしろシリーズ発作は悪化。
ついには強直発作まで出てきてしまい、ACTHと併用して「デパケン」を服用する事に。
マチコは点頭発作の他に3種類の部分発作があった為
「非典型的」なウエスト症候群という事で
ACTHは効きにくいかもと事前の説明は受けてはいたけれど
「難治性」と言われるだけはある現実をこれでもかと思い知る事になった。
効きが悪かった為、ACTH連日投与を5日延長し量も増量。
その甲斐もあってか、デパケンとの併せ技の効果なのか
12月24日~2月4日まで計29本のACTH療法が終わる頃には
発作無し、脳波も良好という結果で無事退院できる事になり
デパケン単剤のまま地元で様子を見ることになった。
副作用を懸念されるACTHですが
マチコに顕著に現れた副作用としては
「脳萎縮」「ムーンフェイス」「不機嫌」「多毛」「異常な食欲」
あとは当然「免疫低下」もあるのでACTH療法中の患者はまとまって
通称「ACTH部屋」と呼ばれる部屋で隔離生活を行っていました。
ACTH中は部屋からお風呂場までの移動でさえベビーカーにビニールのカバーを被せて移動し
当然お風呂も1番風呂という徹底ぶりでした。
そういう特殊な缶詰生活で、同時期にそのACTH部屋で一緒に過ごすご家族とは
本当に色んな話をするので、必然的に距離も縮まり
我が家もこの1回目ACTHで同部屋だった山梨の「たくちゃん」、広島の「あやちゃん」とは今でも交流があるくらい
「仲間」「戦友」のような特別な友達が出来たりもするらしいです。
ま、全て妻の受け売りなんですけどね・・・。
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めぐみんLOVE