とあるウエスト症候群患者の治療記録 その3

医大入院中での話し合いで
「ACTHは内服を一通り試して効かなかった時の最終手段です」と言われる。
副作用の脳萎縮を考慮してとのことだった。
実際、医大という事もあって、脳の病気に限らず
マチコ以上に命の危険がある病気の子もたくさん入院してたし
そういう子供達と比べると、マチコは今日明日で命がどうこうなる病気でもないので
「リスクを回避しながら気長に」という方針も理解出来ない事はなかった。
だけど当時は1日でも早く発作が止まれば、成長は追いつけるかもという期待を持っていたし
たとえ医療素人の意見に過ぎなくとも、それが親心というものだと思う。
その時すでにネットでウエスト症候群の事調べまくってて
SNSやブログなんか見ても
ACTHがウエスト症候群の「1番可能性のありそうな治療法」だと認識してたので
ここで意見を通さず後悔するよりマシだ、もうこれは決断するしかないと
意を決して静岡てんかんセンターへの転院を直訴しました。
そして2010年12月16日
医大で処方されたランドセンを服用したまま静岡てんかんセンターへ入院。
最初の話し合いの場でてんかんセンターでの最初の主治医の先生に
「ランドセンは将来的に多動を引き起こす可能性があるとされており
てんかんセンターでは嫌われてる薬だけど、せっかく処方されてるので
まずはランドセンをMAX量まで増量しましょう」
との説明を受けた。
数日後、MAX量まで増やした結果、ランドセンは全く効いておらず
いよいよACTHを開始する事になった。
今思えば、初めてマチコの発作をムービーに撮って地元の総合病院に見せに行った時
自分でもほぼ間違いなく「点頭てんかん」だと確信していました。
でも当時は妻も働いていたし、そこでも
「う~ん、チックっぽいけど一応医大に紹介状書くね」程度だったので
判断を鈍らせてたよね、そうであってほしくないと思う自分が。
もし、あの時ほぼ確信していたのなら
どちらかが休暇をとり、直で静岡てんかんセンターへ行っていたら
恐らく入院してすぐACTHだったんだと思うと
得るものもあったとは思うけど、あの医大入院期間の2週間は無駄だったなと思います。
「フットワークは常に軽く」
この時から僕たち夫婦の合言葉のようになりました。
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写真はてんかんセンターでのACTHの様子

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